ミルトン・エリクソン プロクルステスの寝台



私はこれまでに古典催眠、ショー催眠、エリクソン催眠を学んできました。そしてNLPのミルトンモデルを含めて、わたしの結論は「催眠では無い状態なんて、無い」という結論です。

続きは編集後記で

催眠というと、「低いゆっくりとした声で曖昧な言葉で暗示する」こんなイメージでしょうか。もちろんそうやることもできます。しかし怪しさ満点です。そんないかにも催眠やっていますというやり方よりも、普通の声のトーンで普通に話しても催眠は起こっています。

催眠に対する特殊なイメージがあるという思い込みが催眠を不思議もしくは操られる、などいろんなマイナスのイメージにしています。

私にとって、催眠とは寝ていない時間は全て催眠です。催眠状態が浅いか深いかです。そして患者さんの身体を治療している時はかなり深い催眠状態に入っていきます。外から見たら、ただ触れているようにしか見えないかもしれませんが、自分自身の身体が消えていく負の幻覚や患者さんの身体の中を通り抜けていくエネルギーの軌跡のような正の幻覚が当たり前のように起こります。
同じように患者さんもこちらが説明していない、身体の中心軸にエネルギーが集まっていく治療をしていると、「先生、この身体の中心に集まってくるものは何ですか?」という質問をされる時があります。
あきらかに正の幻覚です。
つまり催眠とは治療であり、コミュニケーションです。

エリクソンは、自分の治療方法を自らは体系化しませんでした
彼はそのことについて、こんなたとえ話をしています。
「治療方法に患者を合わせることは、プロクルステスの寝台に寝かせるようなものだ」
プロクルステスの寝台とはこんな話です

プロクルステスはアジトを持っていた。そこには、鉄の寝台があり、通りがかった人々に「休ませてやろう」と声をかけ、隠れ家に連れて行き、寝台に寝かせた。もし相手の体が寝台からはみ出したら、その部分を切断し、逆に、寝台の長さに足りなかったら、サイズが合うまで、体を引き伸ばす拷問にかけた。寝台にぴったりのサイズの人間がいなかったのは、寝台の長さが調節可能だったからである。プロクルステスは遠くから相手の背丈を目測して、寝台を伸ばしたり縮めたりしていた。

プロクルステスの恐怖時代を終わらせたのは英雄テーセウスだった。テーセウス最後の冒険談である。

■編修後記

プロクルステスの寝台のようなセラピーをしない事を私自身、肝に銘じています。

なぜならば、最初にお伝えしたように治療もコミュニケーションも催眠だからです。
あくまでもクライアントまたは患者さんのニーズにマッチするようにエリクソンのスピリットを忘れずに日々治療しています

エリクソンのスピリットを私なりに踏襲したセミナーをご用意しております

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