1980年に「Neuro-Linguistic-Programming」という名前が付けられました。
様々な批判を浴びる名前ですが、私は言い得て妙なので、個人的に好きです。
特に父が脳梗塞になり、後遺症としてウェルニッケ(感覚性)失語症が残り、
脳科学および言語学をもっと深く学ぶようになりました。
そして東大の脳言語学教授の酒井先生から学び続けています。
脳言語学は最も理系らしい物理学から最も文系らしい言語学までを研究対象にしています。
そして脳科学が、fMRIなどの画像診断の発達により、かなり科学的に色々な事が分かるようになっています。
どうやって私たちは思考し、行動するのか、
言い換えると「生きる」のかという事が
脳を中心とした神経言語の働きであることが分かります。
特に酒井教授はMITの名誉教授であるノーム・チョムスキーから
生成文法を直接学び、生成文法を科学的に解明することに成功しました。
生成文法はNLPの創始者であるジョン・グリンダーがCA大学サンタクルーズ校で助教授として教えていた言語学です。
そしてチョムスキーは、言語学の中で、統辞論(シンタックス)のみが科学的に研究できる分野であると考え、
酒井教授がそれを実証した訳です。
つまり、NLPは科学的普遍性を含んでいるという事です。
では「NLPは人類普遍の科学か?」
と質問されたら
Yes and Noです。
Yesは既述した生成文法の脳科学的証明は英語話者も日本語話者も変わりません。
しかし、英語話者と日本語話者は同じ思考様式をしているかというと、
それは異なります。
ここからは、科学よりも文化人類学と言語学という学問領域で各言語の持つ特殊性を説明する方が効果的です。
詳しい内容は拙著の「つながりに息苦しさを感じたら読む本」をお読みいただければ幸いです。
日本語と英語では、
1)主語が省略されるかされないかと言う違いがあります。
2)動詞の位置が違います。
1)は、主体性の有無に大きな影響を与えます。
2)は、結論が決定しているか、先延ばしするかに影響します。
この時点で普遍的な科学とは言えないわけです。
さらに同じ日本語でコミュニケーションを取っていても、当たり前ですが、個人個人で思考も感情も異なります。
このような個別性、実存主義という哲学の領域で説明する方が効果的です。
私たちは、気がついた時に世界に投げ出されていて、その時点で何者であるかは、決められていません。
なので、自分自身を自分で作っていく事ができます。
たとえ、どんな環境で生まれ育ったとしても、どういう自分になるのかは、自分自身で決めていきます。
だからこそ、一人ひとり個別的なのです。
これは科学の領域で語れない事です。
つまりYES and NOのNOの部分です。