ラポールと言えば、
「バックトラッキング」「ペーシング」「ミラーリング」
を使えば「相手に信頼の橋を架ける」事ができる
と習いますが、
実際に、信頼関係は深まりましたか?
そうでは無いと思います。
特に相手に分るようにミラーリングを行うと信頼関係は壊れます。
「馬鹿にしているの」と・・・・
当然です。
だれが自分の仕草をマネされて、気分良くなるのか!
NLPの創始者たちはミルトン・エリクソンという
天才的催眠療法家を研究して、
ラポール構築テクニックを作りました。
そして、エリクソンは「患者の無意識」に
「私はあなたと似ていますよ」と
生物学的・非言語的にバイオ・フィードバックすることで
「ラポールが構築されます」と創始者たちは提唱しました。
それゆえに、「クロスオーバーミラーリング」があります。
クロスオーバーミラーリングとは、
クライアントが右手でリズミカルにテーブルをタッピングしていたら、
ガイドは例えば左足で床を相手に気づかれないようにタッピングします。
という表面的な方法もあります
が、
そもそも、「ラポールを構築する」という言い方自体が、
ずれています。
ラポールの説明で、「ガイドからクライアントへ橋を架ける」というのがあります。
私はこの説明が実際とずれていると実感します。
現実はラポールは自然に両者の間で発生または生成される現象です。
一方から一方へ故意的に行う、表面的なラポールテクニックを否定をしませんが、
古い。
ベイトソンに言わせれば「粗悪な認識論」の典型例です。
ALL NLPでは、さらにラポールについて、深く考察します。
相手の世界観に入るモデリングがあります。
これは、相手と同側の手足を使い、同じ側の脳を使うことです。
クライアントが左脳を使って右手を挙げたら、
相手に気づかれないように右手を挙げます
その行動が、ガイドの左脳を刺激します。
これを繰り返していると相手の言葉や姿勢から
相手の世界観がモデリングできます。
相手の世界観に入って、物を見たり、聞いたり、感じたり
することで、
初めて分ることがあります。
その時は「似てますよ」という表面的なラポールより更に深い関係性です。
これでもまだ表面的です。
もっとクライアントと同じ場を共有するとガイドの意識的な操作性が失われ、
場(フィールド)が二人に必要な経験をさせてくれます。
身体を治療しているときに気がついたのですが、
患者さんに何の前情報を話さずに、
患者さんの身体が中心軸に統合されるような、
触れているかどうか分らないくらいのタッチで
エネルギーワークをしました。
私は統合されていくプロセスを見ているだけです。
そして私自身も自分の身体の中心軸がより統合されていくのを感じています
そのプロセスが終わった後、患者さんは自ら
「なんか身体の中心に向かって集まってくる感じがしたのは何ですか?」
と質問されました。
「そういう治療が起こりました。良く分りましたね」と。
その方は開業以来20年私の治療を受けている方で
私を信頼してくれています。
これをレゾナンスと呼びます。
「共鳴」という意味で、2本のギターがあって
1本を鳴らすともう1本のギターも自然に鳴るような現象です。
これは共鳴する場(フィールド)が生成されたときに、
「自然発生」します。
さらに深く行ってみましょう。
ここまで二人の関係性がどんどん深くなるプロセスを見ていきました。
しかし、
その関係性が生まれるには、二人が存在している事が大前提です。
一人では、共鳴もモデリングもバイオフィードバックも起こりません。
「あなたが存在し、私が存在する」
という存在論(オントロジーと哲学では呼びます)
が大前提なのです。
このレベルはスピリチュアルレベルよりもメタレベルであり、
環境レベルよりも規定的な下位レベルでもあります。
「上即下、下即上」
と仏教的な感じです。
以前はロバート・ディルツが提唱する
アイデンティティレベルのサポートであるスポンサーシップについて、
なんの違和感も無く「あなたはここに居ます」と「あなたは貢献できる何かを持っています」
という承認の言葉を同じレベルで言っていました。
しかし
今は「あなたはここに居ます」はより深いオントロジカル(存在論的)な表現であることを実感します。
「あなたは貢献できる何かを持っている」のは先に「存在」している必要があるからです。
この2つの事をアイデンティティレベルで同レベルで語ることに違和感を覚えるので
私は、この2つを分けて考えています。
「居る」というオントロジカルレベルと
「貢献できる何かを持っている」というアイデンティティレベルです。
より深い関係性はオントロジカルレベルです。
これを哲学用語そのまま借用して「オントロジー」と呼んでいます
私はエリクソンのセッションの中にベイトソンが見たものは、このことではないのかと思います。
そしてそれを見抜けなかったNLP創始者たちがつくったミルトンモデルに対する「粗悪な認識論」
というベイトソンの厳しい批判だったのかもしれません。