NLPの歴史

 

始まりは、実験から

1970年代初頭、アメリカのカリフォルニア大学サンタクルーズ校において、始まりました。

<カリフォルニア大学サンタクルーズ校のカフェにて>

当時、数学とコンピューターのフェローシップの研究生だったリチャード・バンドラーが、ゲシュタルトセラピーのビデオ編集を出版社から依頼され、何本ものゲシュタルトセラピーの創始者であるフリッツ・パールズのビデオを見ているうちに自分でもできそうな気がして、サンタクルーズ校の大学生を集めて、実験的にゲシュタルトセラピーを行いました。

<リチャード・バンドラー(ウィキペディアより)>

バンドラーは、見たモノを忠実に再現する天才で、ビデオ編集を依頼した編集者は「バンドラーはまさにパールズのようにセラピーを行っていた」と証言しています。

NLPの歴史的第1歩

そのゲシュタルトセラピーの実験場に、サンタクルーズ校の言語学の助教授が呼ばれました。

ジョン・グリンダーというノーム・チョムスキーが開発した生成文法を研究している言語学者でした。

<ノーム・チョムスキー(ウィキペディアより)>

グリンダーは、バンドラーのセラピーに興味を持ち、バンドラーに提案しました。

「君がしている事を私におしえてくれたら、私は君がどうやって上手くいっているのかを説明してあげよう」

バンドラーは、自分がどうやって上手くいっているのかを説明できなかったので、グリンダーの提案を受け入れました。

そしてこれがNLPの歴史的第1歩と呼ばれる場面です

さらに、家族療法家として著名だったバージニア・サティアを研究して、既述したフリッツ・パールズの言語パターンをモデリングした成果が「魔術の構造」と呼ばれる最初のNLPの著作です。

<バージニア・サティア(ウィキペディアより)>

魔術の構造は、12種類の質問パターンによって、クライアントの問題を解決します。

この魔術の構造の推薦文には当時サンタクルーズ校で教鞭を取っていた、文化人類学者のグレゴリー・ベイトソンも寄稿しています。

ベイトソンは、グリンダ―とバンドラーを旧知であった世界的に著名な精神科医で催眠療法家のミルトン・エリクソンを紹介しました

ミルトン・エリクソンとの出会い

NLPはエリクソンの催眠療法をモデリングして、催眠言語(ミルトンモデル)を開発しました。

<ミルトン・エリクソン(ウィキペディアより)>

NLPと命名

1980年代に入り、NLPは、自らの名前を初めてつけました。

それまで、NLPという名前さえなく、1980年に出版された「Neuro-Linguistic-Programming」で初めて自分たちのメソッドに名前がつけられました。

NLP第2世代

1980年代初頭にグリンダ―とバンドラーはパートナーシップを解消して、それぞれの道を歩き始めたことで、NLPは多様な展開を見せるようになりました

グリンダーはNew Code NLP、バンドラーはデザインヒューマンエンジニアリングをそれぞれ開発し、グリンダーの生徒であったロバート・ディルツはサンタクルーズ校にNLP Universityを設立し、システミックNLPを提唱しました

<ロバート・ディルツ(http://www.nlpu.com/NLPU_RBDBio.html)より>

第2世代の特徴は、コンセプトとして知覚位置、タイムライン、ニューロロジカルレベルなど身体と脳の関係性が重視され、信念の研究も盛んに行われました。

そして、これまで心理療法の分野でのみ用いられてきたNLPをビジネス、教育、一般医学の中にも広がりを見せていきました。

NLP第3世代

1990年代の半ばに入ると、NLPはロバート・ディルツを中心に、さらに新しい展開を見せ始めました。

「フィールド(または場)」という概念をNLPに取り入れ、それまで1対1で行われていたNLPを1対多あるいは多対多という集団に拡張していきました。

第2世代の「脳と身体の関係性」を越えて「人と人との関係性によって生成されるフィールド」にフォーカスしています。

第3世代のNLPにおいて生まれたのがCOACHステート、ヒーローズ・ジャーニー、元型エネルギーなどです。